母と暮らすようになって、毎日がにぎやかになった。
テレビを見ながら母が笑う声や話す声がいつも聞こえて、私はそれを聞き流したり、相づちを打ったり。
そして、部屋の中を見回すと、いつもモノがあふれていて。
私はその賑やかさも少し気になっていた。
テーブルには紙やペン、棚の上には思い出の写真や飾りもの。
どれも大切な日常や思い出なのに、
なぜか見ると、心がざわついてしまう。
「このままでいいのかな‥」
何も起きていないけれど、何かを整えたい。
そんな気持ちが、静かに芽生えはじめていた。
何から始めていいか分からなかった
整えたい気持ちはあった。
けれど、どこから手をつけたらいいのか分からなかった。
わからないことに加えて、
私は腰痛もちで、母は膝が痛い。
だから片づけたい場所を見ても、つい後回しにしてしまう。
気づけば、“見ないふり”をしていた。
それでも、心のどこかにざわざわとした気持ちがあった。
「いつか動けなくなってからじゃ遅い。
今のうちに、
少しずつ整えなきゃ」──
そんな思いが、静かに頭の片隅に残っていた。
そして、ある日。
机の上に積まれた書類を見ながら、
「これ、どうしたらいいんだろうね」と母に声をかけた。
母は少し笑いながら、
「ねー、どうしたらいいんだろうね」と言った。
笑い半分、困った半分の表情。
その軽い調子が、かえって胸に残った。
母も、私と同じように分からないのかもしれない。
そう思ったら、少し気が楽になった。
きっと、
いきなり全部を整える必要なんてない。
できることを、できるところから。
そう考えたら、少し前を向けた。
まずは、自分の部屋から少し始めてみようかな。
そう決めたのは、そのときだった。
自分の部屋の引き出しをひとつずつ開けて、片づけを進めた。
そしてふと、母の部屋の方に目がいった。
母は、どんなふうに暮らしているんだろう。
そう思ったら手が止まった。
母のことを、ちゃんと知らない
そのとき、はっきりと気づいた。
私は母と一緒に暮らしているのに、
家のことも、母の持ち物のことも、あまり知らない。
母なら全部わかっているだろうと思っていたけれど、実際はそうでもなかった。
あとで知ったのだけれど、
母も「細かいことはよくわからないのよ」と笑っていた。
どちらかがいなくなったら、
残されたほうが困る。
そんな現実を、
ようやく目の前に突きつけられた気がした。
でも、その不安を抱えながらも、
私は少しずつ
「暮らしを整える」ことを考え、行動に移し始めた。
そして気づいた。
「終活」とは、何かを減らすことではなく、
今の暮らしを見つめ直し、
その先を少しずつ整えていく時間
なのだと。
この気づきが、
私たち親子の「終活」の小さな第一歩になった。
