母と終活

妹に優しくできなかった子ども時代と、長い時間を経て気づいたこと

母と終活
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妹のことを思い返すと、胸の奥が少しだけちくりとします。
子どもの頃、私は“優しいお姉ちゃん”ではありませんでした。
長い時間を経てようやく向き合えるようになった、妹への想いの話です。




子どもの頃の私は、しっかり者と言われることが多かった。
体も丈夫で、勉強も運動もそこそこできて、あまり手のかからない子どもだった。

でもその分、私はいつも妹に嫉妬していた。

妹は体が弱くて、よく泣いて、宿題も最後まで抱えては父や母に助けてもらっていた。
泣きながら甘える妹の頭を、父が優しく撫でるその姿が、子どもの私には少しだけ羨ましかった。

私はその“特別”を一度ももらったことがなかった。
忘れているだけかもしれないけれど、私の中では“なかったこと”になっていた。

だから──
私は妹に冷たくしていた。

妹が私と同じ部活に入りたいと言っても「絶対ダメ」と突っぱねた。
勉強を聞いてきても、優しく教えてあげられなくて、結局妹は泣いて終わる。

思い返せば、妹は家では無口だった。
たぶん、私に話しかけるといつも面倒くさそうにされたから。
邪魔扱いされるのがわかっていたから。
傷つきたくなくて、妹なりに距離を置いていたのかもしれない。

優しいお姉ちゃんではなかった。
むしろ、その逆だった。

中学、高校と進むにつれ、私は妹の存在をどんどん意識しなくなった。
距離が離れて、生活が変わって、妹のことなんて忘れていた時期もある。

でも、30年近くたった今になって、
私はふいに妹の寂しさに気づく。

最近、実家の片づけをしていて、
「何か残したいものある?」と妹に聞いたら、
「全部捨てていいよ」と返ってきた。

小学校の作品も、文集も、卒アルさえも。

「もう要らないかな」とあっさり言う妹を見て、
胸がちくりとした。

子どもの頃、大切に抱えていたはずの思い出を、
何ひとつ“欲しい”と思えるほどの愛着が残っていないのだとしたら、
その理由の一部には私がいたのかもしれない。




それでも30年近くかかって、ようやく私と妹は、
昔の傷や気持ちをぽつりぽつりと話せるようになった。

妹は母となり、今は私よりずっとしっかり者で、
時には頼もしい存在だ。

たまにLINEで届く家族の写真を見て、
「ああ、妹はちゃんと幸せになれたんだ」と
胸の奥が温かくなる瞬間がある。

あの頃の妹が寂しくなかったとは、どうしても思えない。
私に突き放されて、泣くことすら諦めていた日もあったと思う。

だから今、私はただ静かに思っている。

大げさなことは何もできないけれど、
妹の人生が少しでも軽くなるなら、私はいつでも動ける。

母のことも任せてほしい。
妹には、自分の家族と笑っていてほしい。

そう思うのは、償いとか義務じゃなくて、
長い時間をかけてようやく育った、私なりの“家族への気持ち”なんだと思う。


妹が今、元気で幸せでいてくれて、本当によかった。
その事実だけが、遠回りしてしまった姉の胸を静かに救ってくれている。

まだうまく返せていない優しさもある。
でも、それでいいのかもしれない。
これからできるぶんだけ、ゆっくり返していけば。