母と終活

母という人を、ようやく知り始めた話

母と終活
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母という人のことを、私は長いあいだ“優しい人”としか思っていませんでした。
でも大人になった今、その優しさの裏には、ぎりぎりの毎日や、誰にも見せなかった強さがあったのだとようやく気づきます。
暮らしを共にするようになった今だからこそ見えてきた、母への想いの話です





子どもの頃、私は母のことを「優しい人」だとしか認識していませんでした。
いつも穏やかで、怒られた記憶もほとんどない。

私と妹にお揃いのバッグや服を作ってくれて、幼稚園のお弁当はいつも美味しくて、
家に帰れば、母はたいてい笑っていました。
――その笑顔を見ると、「大丈夫なんだ」と安心できた。

小学校の頃も、中学校に上がった頃も、私の中の母はずっと“優しいお母さん”のままでした。

でも大人になった今思うと、あの頃の母は
優しいだけじゃなく、ぎりぎりの毎日を静かにこなしていた人でもあったのだと思います。

母は父にすすめられた仕事に就き、
眠い目をこすりながら資格の勉強をして、そこから30年近く働き続けた。

“頑張るしかない”──
そんな覚悟を胸のどこかに抱えながら、
自分の生活を後回しにして続けてきた仕事だったのではないだろうか。

思い返すと、あの頃の母がどれほどの重さを抱えていたのか、
当時の私はまったくわかっていなかった。
今になってようやく想像できるようになった。

そのことを考えると、胸の奥が締めつけられるように感じる。




母に傷つくような言葉を言われた記憶は、子どもの頃にはない。
でも大人になってから、ひとつだけ言われた忘れられない言葉がある。

ある日、母と雑誌をめくりながら豪華な旅行特集を眺めていたときのこと。
母は笑いながら、なんでもない口調でこう言った。

「ここは“人生の成功者”が行く場所だよ。私たちには関係ないね」

たった一言なのに、
その言葉が胸のどこかにひっそり沈んだ。

“母は、私の人生も『成功者ではない側』に置いたんだ──”
そんな誤解のような痛みが、ずっと残っていた。

悪気なんてひとかけらもなかったと今ならわかる。
ただの何気ない言葉だったのだと。

それでも、あの一言は私の胸に小さくささったままだった。



けれど今、母と一緒に暮らし、終活を始めてから、
母は私のことをよく褒めるようになった。

「やる時はやるね、さすがだよ」
「その髪型いいじゃん、若返ったねえ」
「その服、似合ってるよ。可愛いね」

子どもの頃にも褒められることはあったけれど、
大人になってから、こんなふうにまっすぐ言われたのは初めてだった。

昔の “成功者とは無縁だね” というひと言が、
長いあいだ心のどこかに刺さっていたぶん、
母の何気ない褒め言葉が、ようやく私の奥に届いてくる。

その瞬間、
胸の奥で固まっていた何かが、音もなくほどけていった。




最近の母は、とても楽しそうに生きている。
映画やサスペンスに夢中になり、
スポーツ観戦ではテレビの前で声をあげ、
車を買うときには昔なら絶対に選ばなかった明るい色を選び、
「ずっと憧れてたの」と笑った。

そんな母の姿を、私は子どもの頃には知らなかった。
その姿を見ると、胸の奥がじんわりと温まる。

母との距離が近づいた理由は、ひとつじゃない。
父がいなくなったこと。
祖母の介護をやりきったこと。
母自身が、自分のペースで生きられるようになったこと。
そして何より、私が母と向き合えるようになったこと。



私はもう、母に無理をしてほしくない。
がんばらなくていい。
ただ、できるだけ長く笑っていてほしい。

あの頃の幼い私にはできなかった優しさを、
今の私は少しずつ返している。
まだうまく返せていない優しさもある。

でも、それでいいのかもしれない。
これからできるぶんだけ、ゆっくり返していけばいい。

そう思える今の私も、
母が育ててくれた“人生の続き”なのだと思う。