母と終活

母がつくってくれる朝のおにぎりのこと

母と終活
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朝、母がつくってくれるおにぎりが並んだお皿を見るだけで、胸の奥がそっと温かくなります。
大人になってようやく気づいた、小さな日常の幸せが、いまの私の暮らしを静かに支えてくれている——そんな話です。





最近、母は毎朝のように「おにぎり」をつくってくれます。
気づけば3個。
普通サイズが2つと、小腹がすいたときのための小さな1つ。

私が朝ごはんを抜きがちなのを、母はきっと前から気にしていたのだと思う。
茶碗にご飯をよそって食べようと思ったことはほとんどないのに、
なぜか“おにぎりだけ”は不思議と手が伸びる。

その癖を、母は私よりずっと前から知っていた。


おにぎりはいつも、
セリアで母が買ってきた
「おにぎり柄の長方形のお皿」にのっている。
お揃いでふたつある、可愛いお皿。

そこに雑穀米のふわっと握られたおにぎりが、ぽん、と並ぶ。
具はだいたい梅と塩鮭。
たまに気まぐれで塩むすび。

海苔が好きな母らしく、パリパリのまま食べられるように
海苔だけラップに包んで添えてある。


私は昔、母の味を“当たり前”だと思っていた。
幼稚園のお弁当も、小学生の頃の休日のお昼ごはんも。
少し大人になった頃は、母の作るものを特別に感じることもなかった。

だけど今は違う。

朝、皿の上に並んだおにぎりを見るだけで、
「ああ、今日もちゃんと私のことを思ってくれているんだ」
と、しみじみ思える。

そして私はふと、
“この温度を味わえる時間は永遠じゃない”
ということに気づく。

それでも私は、ひとつひとつをゆっくり噛む。
なくなるのが少しだけもったいないと思いながら。


母との暮らしは静かで、ほとんど毎日同じ時間が流れている。
でもその“毎日”の中に、
こんなふうに心がじんわり満たされる瞬間が増えた。

たぶん、こういう小さな幸福を見つけられるようになったことが、
今の私にとって、終活より大切な変化なのかもしれない。