母と終活

父のワープロの前で気づいた、言えなかった言葉たち

母と終活
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父が亡くなってしばらくたった頃、
ワープロと山ほどのフロッピーディスクの前に立ったとき、
私はふと、
「父と一緒に過ごせなかった時間の重さ」
みたいなものに気づきました。



父はずっとワープロでした。
パソコンが主流になっても、父の机にあるのは古いワープロのまま。
新しいものに慣れる時間も、覚える余裕もなかったのだと思います。

私がもう少し大人だったら、
「PCやってみる?」と自然に言えたのかな。
そんなことを考えてしまいます。

ある日の休日。
父に「文書を作るのを手伝ってくれないか」と頼まれたことがありました。
でも私は、友達との約束を優先して、軽く断ってしまった。

結局、父が私に文書作りを頼んだのは、あの日だけでした。
私は、
父にとって“頼りやすい娘”ではなかったのかもしれない。

あの日、父はどうしたんだろう。
困っただろうか、間に合ったのだろうか。
大人になってから、その場面を思い出すたびに胸がぎゅっとします。

父の荷物の中には、手書きの書類もいくつか混じっていました。
ワープロの書類に挟まれるようにして残された手書きのページ。

子どもの頃は何とも思わなかったけれど、
今は違う気持ちでその字を見る。

「本当は印字したかったのかもしれない」
「時間がなくて、やり方がわからなくて、仕方なく書いたのかな」

そんな想像が、胸の奥にじわっと広がっていく。

父は不器用だったかもしれないけれど、
仕事そのものにはとても真面目で、丁寧で、
誤魔化すことがない人だった。
図面には細かな文字や数字がびっしり書かれていて、
そこには誠実に働く大人の姿がありました。

いつも思う。
もし父と並んでパソコンを使っていたら、
一緒に新しいことを覚えたり、作業を手伝ったりしながら、
“父と過ごす別の未来” があったのかもしれない、と。

父はゼロからイチをつくるのが得意で、
私は欠点を見つけて整理したり補足するのが好きで得意で。
もしかしたら、いいコンビになれたのかもしれない。

でも、そんな未来は考えもしなかった。
反抗期が長引いたみたいに、照れくさくて、関わり方がわからなかった。

いなくなってから思う未来なんて、
全部あとからついてくる“もしも”の話だと分かっているのに、
それでも、少し見てみたかったと思ってしまう。


父がずっと大事にしていたのは母だった。
そしてその母を、今の私は大事にしたいと思っている。

素直に甘えたり、喜ばせたりすることはあんまり得意じゃないけれど、
私なりに、父の代わりにそばにいたいと思うようになった。

父の使っていたワープロも、フロッピーディスクも、
もう動くことはない。
でもあれらは、父が真正面から働いてきた証で。
手も、目も、思考も、そこにあったことがわかる。

それを前にすると、
父と過ごせなかった時間、
父に言えなかった言葉、
父と見られなかった未来。
そんなものが静かに浮かび上がってきて、胸が熱くなる。

後悔は消えない。
でも、その後悔が、私を少しだけ優しくしてくれる。

今の私が母を大事にしようと思えるのは、
きっと父が残した気持ちの続きを、私が受け継いでいるからだ。