夫婦

気配に合わせることがなくなった日

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部屋に戻ったときの静けさが、前より素直に届くようになりました。
誰かに合わせなくてもいい時間が、気づけば自分の支えになっています。




部屋に戻ると、静けさだけがそこにある日があります。
朝のまま少し開いたカーテンが、その日の空気をそのまま残していることがあります。
その光景に触れると、体のどこかがゆっくり落ち着いていくことがあります。

夫と暮らしていた頃のことを思い返すと、
同じ部屋にいなくても、
相手の気配に合わせようとする瞬間が確かにありました。
音の出し方や動くタイミング、
ちょっとした視線の向け方まで、
自分では気づかないうちに気を配っていたのだと思います。
それが当たり前で、特別に意識していたわけではありません。

今の部屋には、そうした“合わせる気配”がありません。
静けさがそのまま広がっていて、
自分の動きだけで時間が流れていきます。
静けさの中にいると、
体の力がゆっくり抜けて、
今日の調子にそのまま戻れることがあります。

気を張らなくなったというより、
張っていたことに気づいただけなのかもしれません。
それに気づいた日は特別でもなく、
ただ静かに積み重なっていくだけです。
でも、その積み重ねが大きな変化になっているように感じます。

こうして過ごしていると、
自分の時間が前より自然になってきたと思います。
無理をしていなかったつもりでも、
どこかで少しずつ力が入っていたことが、
今の暮らしになってようやくわかることがあります。

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