母と一緒に家の整理を始めたものの、思っていたよりも難しかった。
「捨てる・残す」の判断だけではなく、
“気持ちのすり合わせ”の方が、ずっと時間のかかることだったのかもしれない。
母の「捨てないでね」に込められた想い
台所の一角に、古い小さなテーブルがある。
上には、新聞やチラシ、薬の袋やメモなど、いろんなものが山のように積まれていた。
ある日、片づけをしていて、ふと母に聞いた。
「もうこのテーブル、使ってないし捨ててもいいんじゃない?」 母は少し考えてから、
「んー…捨てないで」と言った。
そのときは理由がよくわからなかった。
とりあえず、散らかったものを片づけて、テーブルだけでもすぐに運び出せるようにしておこうと思った。
もしかしたら、母もすっきりしたら気が変わるかもしれない——そう思って。
その夜、私は母が寝たあとに片づけをして、テーブルを動かした。
そして天板の裏を見た時に、私はドキッとした。
──「平成五年三月二十九日」。
大きな文字で、縦に書かれていたのだ。
そういえば。
父は昔から、家具や大きなものを買うと日付と自分の名前をよく書いていた。
その癖を思い出した瞬間、
私はもうこのテーブルを捨てる気にはなれなくなった。
母が関わる場所は後回しに
母が関わるところは、しばらく後回しにしようと思った。
まずは、自分の部屋を丁寧に整えるところから始めた。
第2話でも書いたように、
「できるところから少しずつ」。
自分のスペースなら、誰にも気をつかわずに動けるし、母の持ち物に触れない分、気持ちも少し楽だった。
子どもの頃のノートやおもちゃ、
思い出の品がぎっしり詰まっている箱を開けるたび、
40年前の自分と目が合うような気がした。
正直、私も片づけは得意ではない。
腰痛を言い訳に、見て見ぬふりをしてきた。
けれど、少しずつ手を動かすうちに、
気持ちの中まで整理されていくような感覚があった。
一時保管部屋と、母の安心
「すぐに捨てられないもの」は、無理に手放さなくてもいい。
そう思った私は、屋根裏の四畳二間を、
“保管専用の部屋”にした。
迷ったものをひとまずそこへ運ぶことにしたのだが、気づけば一部屋がほとんど埋まっていた。
なんだかおかしくて、ひとりで笑ってしまった。
あとでネットを見てみたら、「一時保管」という方法は、意外と知られた整理法らしい。
自分では“奥の手”のつもりだったけれど、
みんな同じように悩んでいるんだと思うと、少し安心した。
母にも「迷ったら、ここに置いておこうか」と提案すると、
「そうね、それなら気が楽ね」と、ほっとしたように笑った。
捨てることよりも、
“安心して置いておける場所”があること。
それが、母にとってはいちばん大事なのかもしれない。
モノと向き合うことは、気持ちと向き合うこと
一時保管部屋のおかげで、部屋は前よりも少し静かになった。
けれど、テーブルや棚にはまだ、ぬいぐるみやグッズが並んでいる。
アラフォーになってから集め始めた、
“なんか小さくてかわいいやつ”たち。
今の私にとっては、大切な“元気のもと”だ。
正直、仕事でつらい時にどれだけ助けられたろう。
この小さくてかわいいやつらだけは、一つも一時保管部屋には行っていない。
母が笑って「また増えてるね」と言う。
私は「これは捨てないでね」と返す。
そんなやり取りがあると、なんだか穏やかな気持ちになる。
「終活」という言葉は重く聞こえるけれど、
実は“自分の大切を選び直す時間”なのかもしれない。
母も私も、モノの中にそれぞれの思い出をしまって生きている。
だからこそ、焦らずに少しずつ整えていきたいと思う。
モノを整理するというのは、
ただ「減らす」ことではなく、
「今の暮らしを見つめ直す」こと。
母と私、それぞれの想いを尊重しながら、
自分たちのペースで暮らしを整えていく。
その積み重ねが、
私たち親子にとっての“終活”の形なのだと思う。
