夫と離れて暮らすようになってから、
ずいぶん長い時間が経ちました。
一緒にいない時間のほうが、
今はもう当たり前になっています。
それでも私たちは、
夫婦であることをやめたわけではありません。
今日は、いまの私なりの「これから」について書いてみます。
続けようと決めたわけではなかった
離れて暮らすことを決めたとき、
「この形をずっと続けよう」と
はっきり話し合ったわけではありません。
とりあえずやってみて、
その時々で考えよう。
そんな、曖昧な始まりでした。
気づけば、
その「とりあえず」が、
いつの間にか今の暮らしになっています。
一緒にいなくても、関係が終わるわけではなかった
同じ家にいないと、
夫婦としての関係は薄れるものだと思っていました。
でも実際は、
一緒にいないからといって、
関係が消えてしまうわけでもありませんでした。形が変わって、
関わり方が変わって、
それでも「続いている」という感覚だけは残っています。
未来のことは、まだ決めすぎないでいたい
老後のことを聞かれると、
はっきり答えられないことが多いです。
同じ場所で暮らすかもしれないし、
暮らさないかもしれない。
今は、
どちらもまだ分からない、
それくらいの距離で考えています。決めすぎないでいることが、
今の私たちには、ちょうどいいのかもしれません。
距離があるからこそ、続いてきた関係かもしれない
同じ家で暮らしていたら、
今もこの関係が続いていたかどうかは、正直分かりません。
距離があったから、
ぶつかりすぎずに済んだこともありました。
距離があったから、
相手の生活をそのまま受け取れた部分もありました。
そう考えると、
この距離そのものが、私たちの関係を守ってきた
面もあるように思えます。
これからも、いまの延長にあるような気がしている
これから突然、
大きく何かが変わる予感は、今のところありません。
会わない日が続いて、
たまに会って、
またそれぞれの生活に戻る。
そんな今の形が、
この先もしばらくは続いていくような気がしています。
それが正しいのかどうかは、
やっぱり分かりません。
でも、今はこの形が、私たちには無理がありません。
「夫婦」という言葉を、今は静かに受け取っている
昔の私は、
「夫婦」という言葉に、もっと重たい意味を乗せていました。
一緒にいること。
支え合うこと。
何でも共有すること。
今は、
そこまで多くの意味を背負わせなくなりました。
離れていても、
会わない日が続いていても、
それでも続いている関係がある。
それを、今はそのまま「夫婦」と呼んでいます。
まとめ
続いていくのは、距離の中にある関係
はっきり決めないまま、ここまで来た
一緒にいなくても、関係は消えなかった
未来の形は、まだ決めすぎないでいる
距離そのものが、関係を守ってきた面もある
これからも、今の延長にあるような気がしている
私たちの夫婦は、
分かりやすい形ではないかもしれません。
それでも、
一緒にいない時間の中で続いてきた関係が、
これからも、静かに続いていくのだと思っています。
それでいいのかどうかは、
これから先の私たちが、また考えていくのだと思います。
▶ 夫婦の記録はこちら

