私は実家で母と暮らしています。
夫とは離れて暮らしたまま、
生活の中心は、いまはこの家にあります。
毎日の暮らしの中で、
夫のことを強く意識する時間は多くありません。
それでも、ごくたまに、
「夫を思う瞬間」があります。
今日はそのことを書いてみます。
母との生活が、日常のほとんどを占めている
仕事に出る前に、
母と顔を合わせて、
仕事に行き、
買いものをして帰り、
一緒に夕飯を食べる。
今の私の一日は、
ほとんどが母との生活でできています。
誰と暮らしているか、と聞かれたら、
迷わず「母」と答える日常です。
夫の存在は、日常の外側にある
夫は、
この家の中にはいません。
予定も、食事も、
生活の段取りも、
夫が前提になる場面は、
ほとんどありません。
それでも、
「いない」という事実が、
完全に消えているわけでもない。
同じ家にいないからこそ、
存在は、少し離れた場所に置かれている感覚があります。
ふと夫を思い出すのは、何でもない瞬間
特別な出来事があるわけではありません。
テレビで知らない町が映ったとき。
季節が変わったと感じたとき。
体調を崩しそうな予感がしたとき。
そんな、何でもない瞬間に、
「そういえば、今どうしているだろう」と
ふと頭に浮かぶことがあります。
連絡を取るわけでもなく、
強く心配するわけでもありません。
ただ、一度思い出して、
それで終わります。
母の存在が、夫の不在を埋めている部分もある
母がいることで、
家の中で私がひとりきりになることはほとんどありません。
話し相手もいるし、
用事もあります。
そのおかげで、
夫がすぐそばにいないことを、
強く意識せずに済んでいる部分もあると思います。母との生活が、
私の暮らしの重心を、
いまの場所に留めています。
それでも、夫は「別の場所で生きている人」
母と暮らしていても、
夫の存在が消えるわけではありません。
ただ、同じ空間にいない分、
夫はいつも
「別の場所で、生きている人」という位置にあります。
家族でもあり、
生活は共有していない人。
その関係を、
私はもう特別に説明しなくなりました。
まとめ
母のそばで、夫を思う距離
私の暮らしの中心は、いまは母との生活にある
夫の存在は、日常の外側に置かれている
ふとした瞬間に、思い出すことがある
母の存在が、夫の不在を埋めている部分もある
夫は「別の場所で生きている人」という位置にいる
母と一緒に暮らしながら、
私は今も、夫のことを思う瞬間があります。
強く意識するわけでもなく、
忘れてしまっているわけでもなく、
ただ、離れた場所にいる人として。
それがおそらく、
いまの私たちの距離感なのだと思っています。
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