離れて暮らし始めた頃、
連絡をしても、なかなか既読にならないことが続いていました。
一週間ほどそのまま、ということもあって、
画面を何度も開いては、理由をいろいろ考えていました。
今なら、あの頃のことも少し違う距離から思い返せます。
今日は、連絡をめぐって私の気持ちが変わっていった過程を書いてみます。
「返事がこない」が、ずっと頭から離れなかった頃
離れて暮らし始めた頃、
連絡をしても、なかなか既読にならないことがありました。
一週間ほどそのまま、ということもあって、
画面を何度も開いては、
「忙しいのかな」
「何か気に障ることを言ったかな」
そんな理由を、ひとりでいくつも考えていた気がします。
返事を待っているというより、
「既読にならないこと」そのものを、ずっと気にしていた時間でした。
その頃の私は、少し張りつめていた
今なら、あの頃のことも、少し冷静に振り返れます。
夫の忙しさや、
返事をしなきゃという気持ちの重さや、
いろいろな事情が重なっていただけだったのかもしれません。
ただ当時の私は、
返事が来ない時間をどこかで
「放っておかれているように」受け取ってしまっていて、
小さな不安を何度も確かめるように、
ひとりで勝手に疲れていたのだと思います。
いつのまにか、既読が早くなっていた
不思議なものです。
最近は、既読になるのが前よりずっと早くなりました。
返事は相変わらず、すぐ来るわけではありません。
それでも、急ぎでなければ、
そのまま待てるようになっています。
向こうのタイミングで、いずれ返事が来る。
今はそれを、特別なことではなく、
自然な流れとして受け取れるようになりました。
気にしなくなってからのほうが、うまく動き出した
考えてみれば、あの頃は、
こちらが気にすれば気にするほど、
向こうの時間には入り込めなかったのかもしれません。
放っておけるようになってからのほうが、
既読は早くなった。
返事の速さは相変わらないのに、
その違いが、今は少しおかしく感じます。
関係って、
追いかけたときより、離したときのほうが動くこともあるんだなと、
今は静かに思っています。
いま残っているのは、静かな「向き合い方」
以前は、連絡を取るたびに、
どこかで気を張っていたように思います。
今は、変な義務感の代わりに、
必要なときだけ、ちゃんと向き合えばいい。
そんな気持ちだけが残っています。
毎日つながっていなくても、
連絡がなくても、
それを問題にしなくなった日。
それが、私たちの関係が
今の形に落ち着いた、ひとつの節目だったのかもしれません。
まとめ
連絡がなくても、気にしなくなったこと
返事がこないことを、過剰に意味づけしなくなった
放っておかれているように感じて、疲れていた時期があった
気にしなくなってからのほうが、やり取りは自然になった
いま残っているのは、必要なときに向き合う距離感
連絡の頻度が変わったというより、
それを受け取る私の気持ちのほうが、少し変わりました。
追いかけなくなったことで、
関係が静かに落ち着いていった。
いま振り返ると、そんなふうにも思えます。
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