夫と会わない時間が長くなって、
今の私は、特別な不安をほとんど感じなくなりました。
離れて暮らし始めた頃も、
胸がざわつくような不安や、眠れないほどの心配があったわけではありません。
むしろ、「この距離の方がいい」と思って選んだのが始まりでした。
ただ、
「離れていることが、そのまま心の距離になるかもしれない」
そんな考えが、ふと頭をよぎることはありました。
それでも、気持ちが大きく揺れることは、ほとんどなかったと思います。
「会えない」じゃなくて、私たちが選んだ「会わない」
今の私たちは、
事情があって会えないというより、
この距離を選んで、会わない時間を重ねている、という感覚に近いです。
年に数回は顔を合わせますが、
それ以外の時間は、それぞれの生活を淡々と送っています。
会わない日が続いても、
「どうして会えないのだろう」と考えることは、もうほとんどありません。
それが、今の私たちにとっては自然な形になりました。
一緒にいた頃のほうが、私は不安だった
離れて暮らし始めた頃、
心が不安定だったかというと、たぶんそうではありません。
不安や息苦しさを強く感じていたのは、
むしろ一緒に暮らしていた頃のほうでした。
日々の生活の中で生まれる小さなズレや疲れが、
少しずつ積み重なっていたのだと思います。
離れたことで、それらは静かにほどけていきました。
だから「不安から解放された」というより、
「本来の落ち着いた状態に戻った」というほうが近い気がしています。
会わない日のほうが多い、いまの私の暮らし
私は今、実家で母と暮らしながら、
自分の生活を送っています。
仕事をして、
買い物をして、
家のことをして、
自分の時間を過ごす。
その日常の中に、
「夫と会わない」という事実は確かにありますが、
それが生活の中心になることは、もうほとんどありません。
会わない時間は、
私の暮らしの一部として、静かに組み込まれています。
「寂しくないの?」と聞かれるたびに思うこと
離れていると、よく
「寂しくないの?」
「不安にならないの?」
と聞かれます。
もちろん、何も感じないわけではありません。
でも、距離があるから不安になる、という単純な話でもありませんでした。
一緒に暮らしていても、
心が落ち着かないことはある。
離れて暮らしていても、
穏やかな時間は続いていく。
会わない時間が長くなって、
そのことを、ようやく実感として受け取れるようになった気がします。
会わない時間の中で、気づいたこと
会わない時間が長くなって、
私が気づいたのは、
「不安がなくなった」ということよりも、
「自分の生活に、夫の不在を無理に当てはめなくなった」ということでした。
会っていないからといって、
何かが不足しているように感じることも、
もうほとんどありません。
それぞれの場所で、それぞれの生活を続けながら、
関係もまた、別の形で続いている。
今は、ただそれをそのまま受け止めています。
まとめ
夫と会わない時間が長くなって、
私はこの距離を、特別なものとして意識しなくなりました。
不安が消えた、というより、
そもそも大きな不安を抱えないまま、
ここまで来たのだと思います。
会わない時間も、今の私たちの現実の一部。
それを無理に意味づけず、
そのまま日常として受け取れるようになったことが、
いちばんの変化かもしれません。
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