夫とは、今は同じ家で暮らしていません。
この家には、夫の生活音も気配もありません。
私は実家で、母と暮らしています。
人の気配のある家なのに、
ここには夫の気配だけがありません。
そんな家で、
私がいま感じていることの話です。
夫の気配がない暮らしが、当たり前になっていた
夫と同じ空間で暮らす音や気配が、
この家からなくなってずいぶん経ちました。
最初の頃は、
その不在を意識する場面が多くありました。
ふとした瞬間に思い出したり、
「いないんだな」と感じたり。
でも今は、
それがすっかり日常になっています。
気配がないことに慣れた、というより、
この暮らしの形に体がなじんできた、
そんな感覚に近いです。
母と暮らしながら、私の生活のリズムも整っていった
母との暮らしが始まった頃は、
自分の生活のペースをどう保てばいいのか、
少し戸惑うこともありました。
起きる時間、食べる時間、眠る時間。
すべてを誰かに合わせるのではなく、
少しずつ、自分のリズムも取り戻していく。
母と暮らしていても、
自分のペースを大事にできる今の暮らしは、
私にとって無理のない形になっています。
人がいても、静かな時間はちゃんとある
母が同じ家にいても、
一日の中には静かな時間があります。
それぞれが別の部屋で過ごす午後。
会話のないまま過ぎていく時間。
誰かがいる家でも、
一人で過ごしているように感じる瞬間は、
確かにあります。
ひとりではないけれど、
自分の時間がきちんと保たれている。
そんな暮らしです。
夫の気配がないことで、はっきりしたこと
この家には、
夫の生活音も、物の置き方の癖もありません。
それを寂しいと感じる日もあれば、
正直、楽だと感じる日もあります。
どちらも本音です。
ただ、ひとつはっきりしたのは、
夫の気配がないことで、
私は「誰かに合わせすぎなくていい自分」で
いられるようになった、ということです。
この家で育っているのは、安心と自分への信頼
母と暮らし、
夫とは距離のある生活を続ける中で、
私の中に少しずつ育ってきたのは、
「このままで大丈夫だと思える感覚」でした。
ひとりで抱え込むわけでもなく、
誰かにすべてを任せるわけでもない。
頼りすぎず、孤立もしない。
その中間の場所に、
今の私は立っているように感じます。
夫のいない家は、空白ではなく“余白”になった
夫が同じ家にいないことは、
欠けている、というより、
「少し空きがある」という感覚に変わってきました。
その空きの中に、
母との時間が入り、
自分だけの時間が入り、
何もしない時間もあります。
夫のいない家は、
何もない場所ではなく、
いろいろな時間が重なっている場所になっています。
まとめ
夫の気配がない家で、私が育てているもの
・夫の気配がない暮らしが、いまの日常になったこと。
・母と暮らしながら、自分のリズムも守れるようになったこと。
・人がいても、静かな時間はちゃんと残っていること。
・夫の不在が、「欠け」ではなく「余白」に変わってきたこと。
・この家の中で、安心と自分への信頼が少しずつ増えていること。
私はひとりで暮らしているわけではありません。
母と暮らし、夫とは離れている。
少し変わった形のこの家で、
私は今日も、自分の感覚を確かめながら暮らしています。
それが今の、私の暮らしです。
▶ 夫婦の記録はこちら
