母と終活

父の字が残る家で、捨てられないモノと向き合う|母と終活

母と終活
この記事は約3分で読めます。
記事内に広告が含まれています。

(残すことにも、意味がある)

父が亡くなって、もう二十年近く。
それでも家のあちこちに、父の「字」が残っています。
家具の裏、古い道具、洗面台の扉の内側──。
母が「捨てないで」と言うたびに、
その文字が、今も私たちの暮らしの中で息づいていることを感じます。

父の字と、母の「守る」という気持ち。
そして、私が見つけた“残すことの意味”を綴ります。

父の癖と、母の「捨てないで」

父は自営業で、毎日忙しかった。
休みの日も仕事の道具を手入れしたり、遠方へ出かけたり。
父と過ごす時間はあまり多くなかったけれど、
私の知っている数少ない“父の決まりごと”がある。

それは、大きいものを買うと、どこかに必ず日付と自分の名前を書くことだ。
家具の裏、道具箱、黒板、冷蔵庫。
どこを見ても「平成○年○月○日」と父の字がある。

ある日、台所の古いテーブルの裏をのぞくと、
「平成五年三月二十九日」と大きな字が書かれていた。

その文字を見た瞬間、母が以前「このテーブルは捨てないで」と言った理由が、少しわかった気がした。


触れないでいるモノたち

父の仕事場だった二階の事務所には、今も道具や書類がそのまま残っている。

母はその部屋には入らない。片づけの話をしても、父のものについては「んーどうしようかね。」と曖昧な返事しか返ってこない。

もう事業も終わっていて、使うこともないはずなのに、
その部屋だけは時間が止まったままだ。

私も何度か片づけようと思ったけれど、ドアを開けるたびに、結局そのままにしてしまう。

母がなぜ触れないのかは、聞いたことがない。
でもどこかで“触れないままにしておくこと”が、母にとっての「守る」なのかもしれないと思う。


家の中に残る父の字

あの日から気になって、家中を少し見回してみた。

あった、あった。
テーブル、イス、黒板、ホワイトボード。事務所の冷蔵庫にも、洗面台の扉の裏にも。

父の、右上がりの少し硬い字が、そこかしこに残っていた。
どれももう馴染みすぎて、気にもとめていなかったのに。
改めて見ると、なんだか家じゅうが父の存在でできている気がした。


母の安心、私の戸惑い

母は父の写真を数枚だけ飾って、あとは仕舞い込んだまま。
私が書類を片づけようとすると、母は「それは捨てないで」と言う。
たぶん、必要だからじゃない。
母は、父のモノを通して、いまも父とつながっている気がするのだと思う。

私は片づけたい気持ちがあるけれど、
母の気持ちが本当のところはわからないから、手を止めている。

私にとって“整える”は「減らすこと」

でも母にとっての“整える”は「残しておくこと」なのかもしれない。



父の字と暮らす

その夜、寝る前に、天板の裏の「平成五年三月二十九日」を思い出した。
右あがりで、まっすぐで、迷いのない字。

母はあの字を見るたびに、父がここにいたことを思い出しているのかもしれない。

私は、手放すことで心を軽くするタイプ。
母は、残しておくことで心を落ち着かせるタイプ。
どちらも、暮らしを整えるためのひとつの形。


終活って、きっと同じように見えて、人の数だけ形がある。


父の字が残るこの家で、
母と私、それぞれのペースで整えていく。



父のモノは──
母の終活の“最後の大トリ”として、
私の計画のいちばん最後に、そっと書き加えておこうと思う