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夫のいない家で守ってきた暮らし

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この家には、夫の生活音はありません。
私は実家で母と暮らしています。
夫と同じ家で暮らさない時間のほうが、
いつの間にか長くなりました。

今日は、そんな「夫のいない家」で、
私が守ってきた暮らしのことを書いてみます。


暮らしの中心は、ここにある


私の生活の拠点は、今は完全にこの家です。
仕事に行き、家に戻り、母と顔を合わせ、
一日の用事をここで終えます。

夫の住む場所とは離れていますが、
私の毎日は、特別なことがなくても
この家の中できちんと回っています。

ここが、今の私の生活の中心なのだと思います。


夫の不在は、日常の前提になっていた


最初の頃は、
「今日は夫がいないんだ」と
意識する瞬間が何度もありました。

でも今は、
いないことを前提に予定を立て、
いない前提で一日が進んでいきます。

不在に慣れた、というより、
不在を含めた形で暮らしが組み立て直された
という感覚に近いかもしれません。


母との暮らしと、私の役割


母と二人で暮らすようになってから、
家の中での私の役割も変わりました。

車の運転、
役所や病院の手続き。
力仕事は、無理をせず
業者に頼んだり、近所の方に助けてもらったりしています。

これまで母が背負ってきたことを、
少しずつ一緒に受け持つようになりました。

夫がそばにいない分、
「自分でやる」場面は確かに増えましたが、
それが苦しいばかりではありません。

できることが増えていくのを、
少し不思議な気持ちで受け止めています。


守ってきたのは、暮らしの形そのもの


夫のいない家での暮らしも、
もう何年も続いています。

大げさな決意があったわけではありません。
気づいたら、
この暮らしを「続けてきた」だけでした。

季節ごとに家の中を整えて、
母と必要な話をして、
自分の時間も確保する。

特別な工夫はしていませんが、
この形が崩れないように調整してきた
そんな感覚はあります。



夫のいない家で、自分の判断を増やしてきた


夫に相談する場面は、
今はそれほど多くありません。

大きな用件以外は、
自分で決めて進めることが増えました。

間違うこともありますし、
迷うこともあります。

それでも、
「自分で決めていい」という感覚が、
少しずつ身についてきたように思います。


夫と同じ家にいなくても、ここに私の生活はある


この家で私が守ってきたのは、
母との生活であり、
同時に、自分の生活でもあります。

夫と同じ家にいなくても、
私にはここで続いている日常がある。

その事実が、
今の私を支えているのかもしれません。


まとめ

夫のいない家で、私が守ってきたもの

私の生活の中心は、今はこの実家にある

夫の不在は、日常の前提になっている

母との暮らしの中で、役割が増えた

大きな決意ではなく、続けてきただけだった

自分で決める場面が少しずつ増えてきた


夫と同じ家で暮らしていなくても、
この家の中には、私の生活が確かにあります。

守ってきたのは、
何か特別なものというより、
続いてきた「毎日の暮らし」そのものだったのだと
今は思っています。

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