夫婦

会わない日が、日常になった

夫婦
この記事は約2分で読めます。
記事内に広告が含まれています。


夫とは、年に数回しか会いません。
会わない日のほうが、すっかり日常になった暮らしです。

「会えない」ではなく、
今ははっきり「会わない」が当たり前の感覚で過ごしています。

今日は、そんな “会わない日が日常になった今の感覚” について書いてみます。

会わない日は、いつもの一日が続くだけ

会わない日だからといって、
一日の流れが大きく変わることはありません。

朝起きて、
仕事に行って、
買いものをして、
夕飯をつくって、
母と食べる。

特別な予定がなくても、
その日なりの用事で一日は埋まっていきます。
会わない日は、会わない日のまま、淡々と過ぎていきます。


連絡を取らない時間も、今はそのままにしている

会わない日は、
連絡を取らないまま終わることが多いです。

以前は、
「今日は連絡が来ないな」と
気にしていた時期もありました。今は、
連絡がないことに特別な意味を持たせず、
「そういう日なんだ」と受け取るようになりました。
何も起きていない時間として、
そのまま流している感じです。


会わないからこそ、自分の時間がはっきりする

会わない日は、
夫に合わせて予定を組み替える必要がありません。

仕事のあとに寄り道をする日もあれば、
早めに家に帰って休む日もあります。

すべて自分の判断で決められる時間が、
一日の中にすっきり収まっている感覚です。会わないことが、
そのまま「自由な時間」につながっている面もあります。


それでも、まったく思わないわけではない

会わない日が続いても、
夫のことをまったく考えないわけではありません。

天気が急に変わったとき。
体調が少し不安なとき。
季節の変わり目を感じたとき。

そんな何でもない瞬間に、
ふと「今どうしているだろう」と
短く思うことがあります。

連絡を取るほどではない、
ほんの一瞬の想像です。


会わない日が続いたことで、会う日の形も決まってきた

会わない日が当たり前になったことで、
会う日の過ごし方も、自然と落ち着いてきました。

久しぶりに会うからといって、
特別に準備をしたり、
予定を詰め込んだりはしません。

会わない時間の延長のまま、
その日だけ、たまたま同じ場所にいる。
そんな感覚に近いかもしれません。


まとめ

会わない日は、選んで続いている日常

会わない日でも、一日の流れはほとんど変わらない

連絡を取らない時間も、そのままにしている

自分の判断で過ごす時間がはっきりしてきた

ふとした瞬間に、短く思い出すことはある

会わない日が続き、会う日の形も落ち着いてきた


会わない日は、
寂しさだけでできているわけでもなく、
特別な意味を持たせるほどのものでもありません。

ただ、会わないという選択を含んだまま、
それぞれの一日が、今日も進んでいる。
いまは、それをそのまま受け取っています。

▶ 夫婦の記録はこちら