夫とは、年に数回しか会いません。
回数だけを見ると「少ない」と言われることが多いですが、
私にとって再会の時間は、特別なイベントという感じではありません。
今日は、
なぜ再会が「特別」になりすぎないのか、
その理由を書いてみます。
会う前から、気持ちを高く持ちすぎない
会う日が近づいても、
大きな計画を立てることはほとんどありません。
何時に着くか、
どこで合流するか、
それくらいを決めるだけです。
楽しみではあるけれど、
「久しぶりだから何かしなければ」と
気持ちが高くなりすぎることは、今はあまりありません。
再会は、いつもの延長から始まる
会った瞬間に、
何かが切り替わるような感覚はありません。
挨拶をして、
人の流れの中で少し言葉を交わして、
そのまま、いつもの調子に戻っていきます。
再会しているという実感もあまりなくて、
食事をしたり、
外を歩いたり、
何気ない時間を一緒に過ごしたり。
どれも、特別なことではない時間です。
それでも、
ふとした瞬間に
「そういえば、久しぶりだった」と
遅れて実感することがあります。
盛り上げなくても, 関係は続いている
再会のたびに、
思い出づくりのようなことはしていません。
写真をたくさん撮ることもなく、
何か記念になることを
毎回用意するわけでもありません。
それでも、
会っていない時間が長くても、
関係が途切れた感じはしない。
特別な形にしなくても、続いている感覚があります。
再会を「行事」にしなくなって、気持ちが楽になった
以前は、
「久しぶりに会う日だから」と、
少し力が入っていた時期もありました。
でも今は、
再会をひとつの行事のように
扱わなくなりました。
いつもの生活の中に、ただ会う時間が入ってくる。
それくらいの感覚になっています。
再会が特別でない、という今の形
会う前から、気持ちが高くなりすぎることはない
再会しても、まずは日常の延長から始まる
「久しぶり」の実感は、あとから少しずつ来る
盛り上げなくても、関係は続いている
再会を行事にしなくなって、気持ちが楽になった
年に数回の再会は、
私たちにとって大きな出来事というより、
日常の続きを少しだけ一緒に過ごす時間、
そんな位置づけになっています。
それが良いのかどうかは分かりませんが、
今はこの形が、
無理のない再会のしかたなのだと思っています。
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