夫婦

夫のいる場所、私のいる場所

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離れて続く私たちの今

夫は、別の場所で暮らしています。
私は、実家で母と暮らしています。
同じ夫婦でも、
同じ場所にいない時間のほうが、もうずっと長くなりました。
今日は、「夫のいる場所」と「私のいる場所」について、
今の状況と、そこで感じていることを書いてみようと思います。


夫は都会、私は実家

夫は、仕事の関係で都会にいます。
私は、地元の実家で母と暮らしています。
住んでいる環境はまったく違って、
見える景色も、生活リズムも、日常の音も違います。
最初のうちは、
この差が大きいと感じることもありました。


生活の中身は、ほとんど交わらない

平日の過ごし方も、
人と会う頻度も、
一日の終わり方も、ほとんど違います。
同じ夫婦でも、
お互いの日常は、ほぼ別々に進んでいます。
それを「すれ違い」と感じた時期もあったけれど、
今は「そういう形なんだ」と受け止めるようになりました。


見えないから、踏み込まずにいられる

一緒に暮らしていた頃は、
相手の生活が、すぐ目に入ってきました。
今は、実際の様子はほとんど分かりません。
でもその分、
相手の時間をそのまま尊重するようになった気がします。
見えないからこそ、
踏み込まないでいられる。
そんな距離も、今は悪くないと思っています。

それぞれの場所で、それぞれの生活が続いている

夫の場所では、夫の生活があり、
私の場所では、私の生活があります。
私には、母との時間があり、
家の用事があり、
自分ひとりの時間もあります。
どちらかの人生に、どちらかが入り込むことは少ないけれど、
それでも関係が切れないのは、
不思議なことだと思うことがあります。


「一緒にいないこと」に慣れてしまった自分もいる

いつの間にか、
夫と別の場所で暮らすことが、
当たり前になっていました。
一緒にいないことに、
強い違和感を持たなくなった自分に気づくと、
少し不思議な気持ちになることもあります。
でも、今の生活が成り立っているのも事実で、
その中で私は、普通に生活を続けています。


それでも、夫の存在が消えたわけではない

離れて暮らしていても、
夫の存在そのものが消えたわけではありません。
連絡は少ないけれど、
何かあれば連絡が取れるという前提がある。
その前提があるだけで、
今の形は保たれている気がします。


夫の場所と、私の場所

夫は都会、私は実家

生活の中身はほとんど交わらない

見えないから踏み込まないでいられる

それぞれの場所で、それぞれの生活が続いている

離れていても、関係が消えるわけではない

同じ場所にいなくても、
同じ人生を歩いていなくても、
夫婦という形だけは残っています。
それをどう感じるかは、
まだ自分でもよく分からないままです。
ただ、今はこの距離で、
それぞれの場所に立っている。
それが、今の私たちです。

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