夫と離れて暮らすようになって、
お互いを“縛らない関係”が、少しずつ形になっていきました。
相手をコントロールしない。
詮索しない。
求めすぎない。
それは冷たさではなく、
静かに続いていくための“やさしさ”のように、今は感じています。
今日は、その関係がどんなふうに
私たちを強くしてくれたのかを書いてみます。
詮索しないという選択がくれたもの
どこで何をしているのか。
誰と会っているのか。
どんな時間を過ごしているのか。
私たちは、
そういったことをほとんど聞きません。
最初は少し距離を感じる瞬間もありました。
でも、いつの間にかこの“詮索しない”関係が、
私には心地よいものになっていました。
正直に言えば、
相手のことを考えずに、自分のことだけを考えていられる“楽さ”もありました。
だからこそ、
相手を想うときは、以前よりもずっと意識的になった気がしています。
相手の生活に踏み込みすぎないことで、
信頼よりももっと静かな“尊重”の気配が生まれました。
期待しすぎない軽さが、心をやわらかくした
一緒に暮らしていた頃は、
知らず知らずのうちに
「こうしてほしい」
「こうあってほしい」
という期待が積み重なっていたのかもしれません。
距離を置いた暮らしになって、
その“重さ”が少しずつ落ちていきました。
求めすぎないと、
相手に構えずに向き合える。
軽さは、心をやわらかくします。
会ったときの空気が、自然と穏やかになった
会う回数は少なくても、
再会したときの空気は、
以前より穏やかになりました。
“近づきすぎない日常”があるからこそ、
会ったときに、必要以上に構えなくていい。
仲良くしようとか、
良い時間にしようとか、
そんな力みが、前よりも減りました。
ただ一緒にいるだけで、
それで十分だと思える時間です。
縛らない関係は、壊れにくい
縛らないということは、
“放置すること”とは違って、
相手の生活も気持ちも、
そのまま尊重することだと思っています。
無理に形を合わせないからこそ、
壊れにくい関係になるのかもしれません。
お互いが、
自分の生活を大事にできて、
同時に相手も大事にできる。
そのバランスが、
私たちの小さな強さになりました。
“求められないこと”を寂しいと思わなかった日
縛らない関係でいる日々の中で、
ふと、こんな瞬間がありました。
求められないことを
寂しいと思わなかった日のことです。
そのとき初めて、
自分の中にある
“やわらかい生き方”に気付いた気がしました。距離は、
その気付きを教えてくれたのかもしれません。
まとめ
縛らないことで、強くなった関係がある
詮索しない
期待しすぎない
相手の生活を尊重する
会う時間に無理を乗せない
近づきすぎないことで優しくなれる
縛らない関係は、
冷たさではなく
“軽さ”と“深さ”をくれました。
これからもこの距離のまま、
ゆっくりと育っていけばいいのだと思います。
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