母と終活

父のお土産だったキーホルダーを捨てた日のこと

母と終活
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断捨離に夢中だった頃、父が出張のたびに選んでくれたキーホルダーを大量に捨ててしまったことがあります。あのとき母は何も言わず、私は気づけないままでした。今になって胸の奥に残る思いや、当時の自分の気持ちを振り返ります。



「断捨離だ」、と思い立って、
キーホルダーをたくさん捨てたことがありました。
そのキーホルダーは、私が子供の頃に、父が出張先でお土産として買ってきてくれたものでした。


私はあまり父に甘えた記憶がなく、
甘えるのはどちらかといえば妹のほうでした。
父は出張が多く、一緒に過ごす時間も限られていたから、
そのキーホルダーたちは、私にとって数少ない“父との思い出”でした。

それなのに、大人になってしばらくした頃、
“片づけブーム”に背中を押されるようにして、
一時期、断捨離に夢中になったことがありました。

その勢いのまま、
気がつけば何年も引き出しにしまい込んだままだったキーホルダーを、
まとめて手放すことにしてしまったのです。

100個以上はあったと思います。
金属とプラを分別するために、
ペンチでひとつずつ外しながら、
バラバラになった“父のお土産”をゴミ袋に入れていきました。

そのあいだ、母は何も言いませんでした。
不自然なくらい、何も。

でも今なら、その沈黙の意味が、少しだけ分かる気がします。

キーホルダーは、父が出張先の売店で
「どれを喜ぶかな」と思いながら選んでくれたもの。
私のために、何度も、何度も。

それをペンチで外し、細かく分解し、
“燃えるゴミ”と“燃えないゴミ”に仕分けていくあの時間。
私はただ、“スペースを空けたい”という気持ちだけを頼りに、
淡々と手を動かしていました。



あのとき母は、どんな気持ちでいたのだろう。

私がキーホルダーを分別している場面を直接見ていたわけではありません。
けれど、捨て終わったあと、ゴミ袋の中に細かく分けられた“父のお土産”が入っていることには、きっと気づいていたと思います。

それでも母は、何も言いませんでした。
止めるでもなく、すすめるでもなく、ただ気づいたまま、言葉を選ばなかったのだと思います。

私が決めたことを尊重したかっただけなのかもしれない。
あるいは、父の思い出が分解されていくのを見ながら、
胸のどこかで静かに痛んでいたのかもしれない。

あの日、母がどんな気持ちだったのか。
今になって聞くこともできるかもしれないけれど、
私はもう、あのときの気持ちを母に尋ねる勇気はありません。
もう答え合わせをしないままでいい、と思っています。

あの頃の私は、
“使わないものを減らしたい”
という思いに夢中で、
父の気持ちにも、母の気持ちにも、目を向けられていませんでした。

キーホルダーを分別するときに響いた「パチン」という音。
今、あの時のことを思い返すと、
胸の奥がじわっと熱くなります。

残せばよかった、
写真だけでも撮ればよかった、
子供の頃の気持ちをもっと大事にすればよかった——
後になってから気づく後悔は、いつも少し遅れてやってきます。

でも同時に思います。
あのときの私は、あのときの私なりに前へ進もうとしていたのだ、と。

父のお土産を抱え続けることが“前に進むこと”ではなかったあの頃、
私なりの方法で区切りをつけようとしていたのだと思います。

そして今、こうして思い出して涙が出るということは、
捨ててしまったキーホルダーたちも、
父の気持ちも、
ちゃんと心に残っていたという証拠なのだと思います。